介護は、利用者一人ひとりと向き合い、
個人に適したケアを行うことが重要です。
そのため介護現場では、利用者の
個別性に合わせたケアについての
議論が重視されています。

一方で、人間を生理学的に見ると、
人体の構造と機能は人によらずに
共通していますが、この側面から
ケアについての議論がなされることは
少ない状況です。

生理学の視点から良い介護方法の
一般論を導き出すことで、
個別性に合わせたケアの創意工夫と
アイデアの幅が更に広がり、
介護のしごとの魅力が向上すると
私たちは考えています。

介護を科学的に捉える

介護を生理学の視点で捉えるとはどういうことか。
介護福祉士の飯田大輔さんに話を伺いました。

  • イメージ|1.プロの目に見えるもの

    1プロの目に見えるもの

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    1プロの目に見えるもの

    イメージ|1.プロの目に見えるもの

    飯田さん先日、“専門性”について考えさせられるエピソードがありました。

    — どんなエピソードですか?

    飯田さん訪問介護用のリュックサックをつくろうと思って、かばん屋さんに打ち合わせに行ってきました。それでいろんなかばんを持っていって、「ここを、こういう素材で、こういう風にしたいんです」と話したわけです。そうすると、そこのかばん屋さんは聞いているのか聞いていないのかよくわからないけど、「うーん、なるほど、なるほど」と頷いて考えているわけです。

    — ……なるほど。

    飯田さん一通り話し終わった後、かばん屋さんがたくさん置かれている生地から、すぐにいくつかの生地を引っ張ってきて、「さっき見せてくれたかばんは、この番手の生地と、この番手の生地を組み合わせて、こう縫ってありましたね」と説明をしてくれたのです。

    — それは、すごい。

    飯田さんこれは驚きましたね。さっきそれほど長く見せたつもりはないし、生地に触ってもらってもいないのに、見ただけですぐに生地や縫い方がわかって、それがどのような理由でそうなっているとかも、説明してくれるのです。

    — 見ただけでわかるんですか。

    飯田さんこれがプロの目なんだと思いました。同じ「かばん」というものを見ていても、プロが見るのと、私のような素人が見るのとでは全然見え方が違うのです。プロというのは、まるで目にエックス線が付いているかのように、内面にまで入り込んで、条件や状況を読み取ることができるということなのです。

    — それが専門性ということですね。

    飯田さんこれは介護でも同じだと思いました。介護のプロの場合は、利用者の内面まで入り込み、その人の心身の条件・状況を読み取ることできる。それが介護の専門性だと思うんです。

  • イメージ|2.就寝中の体位変換はかわいそう?

    2就寝中の体位変換は
    かわいそう?

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    2就寝中の体位変換は
    かわいそう?

    イメージ|2.就寝中の体位変換はかわいそう?

    飯田さん就寝中の体位変換についてどう思います?

    — 体位変換をすると寝ている利用者を起こしてしまいそうで、かわいそうだと思います。

    飯田さん実は体位変換は、良い睡眠を得るために必要なのです。

    — そうなんですか?

    飯田さん人間は入眠すると一気に深い眠りに至りますが、しばらくすると同じ態勢で、同じ体の部位が圧迫され続けることが苦痛になり、無意識のうちに寝返りを打ち、良い睡眠を確保しています。

    — なるほど。

    飯田さん他にも寝返りには、寝床内の温度・湿度を調節する働きがあります。また人間の睡眠は、体が眠る「レム睡眠」と脳が眠る「ノンレム睡眠」の2つの性質の異なる睡眠を90分~120分周期で繰り返しながら目覚めに向かいますが、寝返りはこの2つの睡眠を切り替えるスイッチの役割を果たすとも言われています。

    — 寝返りはいろいろな重要な役割を果たしているのですね。

    飯田さんなので、自分で寝返りが打てない人に対して、体位変換するというのは良い睡眠を確保するために必須なのです。

    — 実は、朝にまだ眠そうにしている方の部屋のカーテンをバッと開けるのもかわいそうな気がしていたのですが、いかがですか?

    飯田さん人間の睡眠・覚醒や、自律神経、内分泌機能などの生理機能は、約1日を周期とするリズムを持って働いています。しかし人間の体内時計は24時間周期から多少のずれがあります。このずれを24時間のリズムに調整するのが、朝晩の明暗の情報です。

    — そうなんですね。

    飯田さんなので、目覚めのときに光を浴びることは、体内時計を24時間のリズムに調整するために非常に重要です。もし体内リズムが乱れてしまうと、胃腸障害や睡眠障害、認知機能への影響など身体にさまざまな不調を引き起こします。

    — 知らなかったです。

    飯田さんこのように生理学の知識をベースにした人間の見方を身に付けることで、「あなたの介護観」や「やさしさ」「ぬくもり」といった情緒的な言葉に流されずに、良い介護実践を展開することができるようになります。

  • イメージ|3.水分補給は水分だけではダメ?

    3水分補給は
    水分だけではダメ?

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    23水分補給は
    水分だけではダメ?

    イメージ|3.水分補給は水分だけではダメ?

    飯田さん介護と生理学の関係性をさらに考えてみましょう。たとえば、インフルエンザと診断され、発熱して臥床している高齢者がいたとして、この方に対して一般論として必要なケアはどのようなものがあるでしょう?

    — 水分補給が必要だと思います。

    飯田さんなるほど。何を飲ませますか?

    — 本人が飲みたいものを飲ませます。ただ、一般論としてはスポーツドリンクが良いかと思います。

    飯田さんなぜスポーツドリンクが良いのですか?

    — 必要な成分が含まれているからです。

    飯田さん必要な成分とは何ですか?

    — ……わからないです。

    飯田さん答えは電解質(イオン)です。インフルエンザにかかると、発熱・発汗・下痢・嘔吐などによって、脱水症状になりやすいです。このとき実は体からは、水分だけでなく電解質も同時に失われているため、水分と併せて電解質を摂取することが重要です。

    — 電解質とは、何ですか?

    飯田さん電解質とは、電気を流す物質のことです。たとえば塩は、水に溶けるとナトリウム(Na+)とクロール(Cl-)という電解質となります。なので、脱水症状の時は水分と同時に塩分を摂取することが有効です。

    — なるほど。

    飯田さんこういうことを知っていると、水分補給は必ずしもスポーツドリンクでなくても良くなります。たとえば、お茶や水に梅干しを一つ入れるのでも良いのかもしれない。

    — 利用者の好みに合わせて工夫すれば良いんですね。

    飯田さんその通りです。このように原理を知ることで、創意工夫の幅が広がりますし、「こんなやり方もあるかもしれない!」と工夫する楽しさが生まれるのです。

  • イメージ|4.実は重要な空気のはなし

    4実は重要な空気のはなし

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    4実は重要な空気のはなし

    イメージ|4.実は重要な空気のはなし

    飯田さん前回の話では、水分補給について触れましたが、水分というのは数日摂取しなくても生きていることができます。食料も数週間食べなくても生きていることができます。しかし空気は、たった数分息ができなかっただけで死んでしまいます。それだけ空気というのは体にとって大事なものなのです。

    — なるほど。あまり意識したことがなかったです。

    飯田さん一度の呼吸で肺に取り込む空気の量は、安静時の成人で約500mlです。毎分12~20回呼吸するので、1分間で約8L、1時間で約480Lの空気が身体から出入りします。480Lというのは、500mlのペットボトル約1000本分です。

    — 多いですね。

    飯田さんこれがもし室内に10人いたとすれば、1時間でペットボトル約1万本分の空気が人体から室内に排泄されているというわけです。

    — たしかに、満員電車に乗っていると息が詰まるような感覚がありますね。

    飯田さん大切なのは、今吸った空気は肺を通して、血流に乗って全身をめぐるというイメージを持つことです。今、全身をめぐっている空気は、果たして新鮮な空気なのか?しっかり窓を開けて換気し、室内の空気を常に新鮮にしておくということが、良い介護を実践するうえで非常に重要です。

  • イメージ|5.大きな消耗と、小さな配慮

    5大きな消耗と、小さな配慮

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    5大きな消耗と、小さな配慮

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    飯田さん水分の電解質がどうとか、新鮮な空気がどうとか、「そんな小さなこと」と思っていませんか?

    — 正直、少し思っていました。

    飯田さん元気な人からすれば「そんな小さなこと」かもしれませんが、体が弱っている人にとってみれば、その小さなことが大きな消耗をもたらすのです。

    — どういうことですか?

    飯田さんたとえばマラソンを走るとして、走っている時に汗をかくからとタオルをずっと持っていたとします。体力があるときは気にならなかったことも、20km、30kmと走っているうちに、タオルを持つことも、タオルが揺れて身体に当たったりすることも、消耗の原因になっていきます。

    — たしかに。

    飯田さんタオル1本が、あるいはスニーカーのたった10gの差が、消耗に繋がってしまうのです。元気な人から見れば些細なことでも、身体が弱っている人にとってみると大きな消耗をもたらすのだということ。だから介護というのは、生命力の消耗を最小にするように、生活の中の小さなことを一つ一つきちんと整える、そういう小さな配慮の積み重ねなのです。

    — なるほど。

    飯田さんもちろん、これが40kmのマラソンなのか、10kmなのか、5kmなのか、というのはいろいろあります。5kmの人には5kmのやり方があり、40kmの人には40kmの人のやり方があるわけです。それを見極めて配慮するのが、良い介護です。

  • イメージ|6.発熱していたら<br>クーリングは正解か?

    6発熱していたら
    クーリングは正解か?

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    6発熱していたら
    クーリングは正解か?

    イメージ|6.発熱していたらクーリングは正解か?

    飯田さん話を戻しましょう。インフルエンザで発熱している高齢者がいたとして、この方に対して必要なケアは、他にどのようなものがあるでしょう?

    — 発熱しているのであれば、クーリングでしょうか。

    飯田さんそれは半分正解で、半分不正解です。発熱をしていても、クーリングで身体を冷やした方が良い場合と、逆に身体を温めてあげたほうが良い場合があります。

    — そうなんですか?

    飯田さん風邪やインフルエンザにかかって最初、体温が39℃くらいまで上がっても、本人は悪寒を感じていることがあります。服を着こんでも、毛布をかけても寒くて、身体がガタガタ震ええたり、顔が青白く見えたりします。

    — はい。

    飯田さんこれは身体が免疫機能を高めるために、体温のセットポイント(※)を上げるからです。セットポイントが上がると、体温をセットポイントまで上げるために体を震わせて摩擦熱を起こしたり、皮膚血管を収縮して放熱を抑えたりします。だからこのときはクーリングではなく、身体を温めてあげたほうが良いです。

    — なるほど。

    飯田さん逆に、発熱を終えるとセットポイントが元の正常体温に戻ります。そうするとセットポイントが37℃なのに、今の体温が39℃あれば暑く感じます。そこで今度は、気化熱で体温を下げるために発汗したり、放熱するために皮膚血管を拡張して顔が紅潮したりします。そうしたらクーリングなのです。

    — わかりました。

    飯田さんだから、「発熱しているからクーリング」というのは安直すぎます。その人の顔色はどうか、震えているのか、汗をかいているのか…ということは今はどうすべきなのか、ということを考えなければいけない。

    — 解熱剤は飲んだほうが良いんですか?

    飯田さんこれもクーリングと同じで、何も考えずに「発熱したら解熱剤」というのは良くないわけです。解熱剤には、セットポイントを下げるという働きがあります。だから、発熱がまだ必要なタイミングならば解熱剤を飲まないほうが良い場合もあります。一方で、ずっと発熱をしていて苦しさや痛みがある場合は、それはそれで生命力が消耗しますから解熱剤を飲んだほうが良いという判断もあるわけです。

    — どちらが生命力の消耗が最小か、天秤にかけて考える必要があるということですね。

    飯田さんそうです。原理を理解した上で、状況を読み取り、どうしたら生命力の消耗を最小にできるかという基準を持って判断する。その思考過程こそ、介護の本質なのです。

    ※セットポイント:体の設定温度のこと。体温調節中枢には、セットポイントの体温に保つ働きがある。通常は深部の体温で37℃前後。

  • イメージ|7.介護職が最も身に付けるべき技術とは

    7介護職が最も
    身に付けるべき技術とは

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    7介護職が最も
    身に付けるべき技術とは

    イメージ|2.介護職が最も身に付けるべき技術とは

    飯田さん介護職が最も身に付けるべき技術とは何でしょうか?

    — うーん……

    飯田さんそれは、「観察」の技術です。

    — 観察ですか?

    飯田さん「5.大きな消耗と、小さな配慮」の話で、介護とは「生命力の消耗を最小にするように、生活の中の小さなことを一つ一つきちんと整える、小さな配慮の積み重ねだ」という話をしました。これを達成するためには、介護が行き届いていないところはないか、つまり生活の整え方が不十分なところはないか、そのために引き起こされている苦痛はないか、ということを発見する力が必要なのです。

    — なるほど。

    飯田さん飛行機の長時間フライトに乗ったことはありますか?あれは大変ですよ。離着陸や乱気流など着席していないといけないときは、トイレを我慢しなければいけない。立ち上がって良いタイミングでも、奥の席に座っていたら、手前の席の人に「ちょっと、すみません」と言いながらトイレに行かなくてはいけない。

    — それは消耗しますね。

    飯田さん健康で若い人でも消耗するわけですから、身体が弱っていれば、さらに消耗をもたらします。トイレに行きたいのに行けていないとか、汗をかいているのに下着が交換できていないとか、食欲がないときに油っぽい食事が用意されるとか。それを我慢したり、誰かにお願いしたりしなければならないのは、消耗をもたらすわけです。

    — そうですね。

    飯田さんしかし、観察をきちんとやっていくと、利用者の最もいいタイミングで、先手で介護を展開することができるようになります。

    — いいですね。

    飯田さんそして、観察するうえでは「原型と変形」と「一般と特殊」の2種類の「変化」を読み取り、その人が今どのように感じているか、どうして欲しいかを読み取っていくことが重要です。

    — 2種類の変化の読み取りですか?

    飯田さん「原型と変形」は、たとえば、いつもこの人はご飯を3杯食べるのに今日は1杯だなという、いつもとの違い。「一般と特殊」は、一般的に心臓は左にあるけどこの人は右にあるなという、一般からの違い。

    — なるほど。

    飯田さん「原型と変形」を読み取るには、その人の「いつも」を知り、そして「いつも」との違いに気づく必要がありますから、相手に対する強い関心を持つことが求められます。また「一般と特殊」を読み取るには、人に寄らず共通する一般論を知る必要がありますから、生理学などの知識を身に付けること大切になるわけです。

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    5大きな消耗と、小さな配慮

    イメージ|5.大きな消耗と、小さな配慮

    飯田さん水分の電解質がどうとか、新鮮な空気がどうとか、「そんな小さなこと」と思っていませんか?

    — 正直、少し思っていました。

    飯田さん元気な人からすれば「そんな小さなこと」かもしれませんが、体が弱っている人にとってみれば、その小さなことが大きな消耗をもたらすのです。

    — どういうことですか?

    飯田さんたとえばマラソンを走るとして、走っている時に汗をかくからとタオルをずっと持っていたとします。体力があるときは気にならなかったことも、20km、30kmと走っているうちに、タオルを持つことも、タオルが揺れて身体に当たったりすることも、消耗の原因になっていきます。

    — たしかに。

    飯田さんタオル1本が、あるいはスニーカーのたった10gの差が、消耗に繋がってしまうのです。元気な人から見れば些細なことでも、身体が弱っている人にとってみると大きな消耗をもたらすのだということ。だから介護というのは、生命力の消耗を最小にするように、生活の中の小さなことを一つ一つきちんと整える、そういう小さな配慮の積み重ねなのです。

    — なるほど。

    飯田さんもちろん、これが40kmのマラソンなのか、10kmなのか、5kmなのか、というのはいろいろあります。5kmの人には5kmのやり方があり、40kmの人には40kmの人のやり方があるわけです。それを見極めて配慮するのが、良い介護です。

それぞれの専門分野の
視点で見た
介護についての話です。

  • イメージ|ロングターム・ケアの場で死に至る高齢者の「実践知」を科学的に証明する

    ロングターム・ケアの場で
    死に至る高齢者の「実践知」を
    科学的に証明する
    ―『統計という魔法の杖』を使って ―

    川上嘉明東京有明医療大学 看護学部
    看護学科 看護学研究科 教授

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    ロングターム・ケアの場で
    死に至る高齢者の「実践知」を
    科学的に証明する
    ―『統計という魔法の杖』を使って ―

    川上嘉明(かわかみ・よしあき) 東京有明医療大学 看護学部
    看護学科 看護学研究科 教授

    イメージ|ロングターム・ケアの場で死に至る高齢者の「実践知」を科学的に証明する

    介護を科学するために必要なこと

    介護施設に男性の入居者が少ないのはなぜでしょう

     特別養護老人ホームの施設長をしながら、不思議に思っていたことがいくつかありました。たとえば「入居者の男女比はいつも7対3くらいだけど、男性はどこにいってしまったのだろう」と。どの高齢者施設やグループホームなどの男女比を聞いても、その比率は7対3または8対2くらいで、女性が多くを占めているのです(皆様の施設はいかがでしょう。きっと同じような比率ではないでしょうか)。
     男性の平均寿命が短いから? 家でケアを受ける男性が多いから? ……いろいろ理由を考えましたが、確証が得られません。そこで年齢別そして男女別死亡数のデータ(厚生労働省. 2020年人口動態統計)をもとにグラフを作成してみたところ、図1のとおり面白い結果が見えてきました。
     64歳以下で死亡する男性は女性の約2倍、65~74歳の年齢層でも約2倍です。75~84歳でも男性の死亡数は女性の約1.5倍です。85歳以上で男性の死亡数ははじめて女性の死亡数を下回ります。介護保険施設では85歳以上の入居者が6割以上を占めています(*1)。日本人男性は施設に入所する前に死に至っていることもあり、高齢者施設などの男女比は7対3、8対2となっていることがデータ分析からわかりました。

    図1 年齢階層別、男女別、主たる死因別の死亡数

    図1 年齢階層別、男女別、主たる死因別の死亡数
    厚生労働省. 2020年人口動態統計

    科学すること:「実践知」を客観的に証明する

     こうした入居者の男女比のように、介護臨床では「証明されていない不思議な現実」がたくさんあるのではないでしょうか。ところが、それらは「そういうものだ」や「あたり前」という業界人の認識に埋もれてしまっています。しかし、あらためて「なぜそうなっているのだろう」と調べてみると、そこには世間の人が知らないことや、重要な事実が隠れていることがあります。
     たとえば私たち業界人はその経験から、長期にわたる介護(Long-term care; ロングターム・ケア)を受け死に至る高齢者は、「だんだんやせていく」「だんだん食べなくなる」「傾眠がちになる」など、看取りの時期の様子を「実践的な知識」として共通理解しています。そして、そうした「実践知」に基づいて、介護の方針を決めたり、家族を呼んで看取りに関わる説明をしたりしていないでしょうか。
     しかしこうした「実践知」を、私たちは一般の人に「客観的に説明」することができるのでしょうか。客観的に説明するということは、一般に通用する事実や法則性があることを示すことです。
     「科学する」とはこうした「実践知」を掘り起こし、数値や統計を使って法則を証明することにあります。この論考では、介護臨床に「普通にあふれている」データを統計的に分析することにより、ロングターム・ケアの介護臨床で、共通理解されている死に至る高齢者の「実践知」を科学的に証明したいと思います。

    介護臨床でしか得られないデータ
    から
    見えてくること

    死に至る5年も前から体重、BMIが減っていく

     神奈川県の中核都市にある特別養護老人ホームA(以下、特養A)では、退所者のうち約9割を施設内で看取っています。胃ろうや経管栄養は一切しないで、経口から摂れるだけの食事や水分を摂って看取りをしていることが、その施設の特徴です。
     その特養Aでは入居者の「体重」を毎月測定しています。そこで約6年の間(2011年3月から2017年4月)その施設内で看取りが行われた106人の高齢者について、体重と身長から計算したBMI(Body Mass Index; 体格指数)の月次推移(平均値)を図2のようなグラフにしてみました。すると面白い結果が見えてきました。
     なんとBMIは、死に至る60ヵ月前(5年前)も前から死の時まで減少し続けていたのです
    ※BMI: 肥満度を表す指標として国際的に用いられている体格指数で、[体重(kg)]÷[身長(m)の2乗]で求める。世界共通の肥満度の指標で、標準値は「22」とされている。

    食べているのに体重、BMIが減っていく

     「BMIが減少するのは、食事を食べていないからでは?」と思う方もいるでしょう。そこでこれらの高齢者は食事をどれだけ食べていたのか、各食事が終わるごとに、ケアワーカーの方々が記録していた摂食量のデータから食べたカロリー量を概算し、1日あたりの平均値を同じグラフにプロットしてみました。
     そうすると死に至った高齢者は死の8ヵ月前頃まで、1日あたり1,000キロカロリー以上の食事は摂れていたのです。これらの高齢者の基礎代謝量(生命維持活動をするために最低限必要なエネルギーの量)を計算してみると約830キロカロリーでしたから、それ以上のカロリー量は摂れていたことになります。つまり食べているのに体重、BMIが減っていった、食べているのにやせていったということになります。
     しかしグラフに示したとおり、死の8ヵ月前を過ぎると急速に食事摂取量が減少し、最終的に基礎代謝量の830キロカロリーの食事も摂れなくなっていきました。

    死に至る高齢者の、年々減るBMI、約8ヵ月前から
    減る食事摂取量、
    2-3ヵ月前から減る水分摂取量

     さらにこの施設では日々の水分摂取量(食事以外)を記録していました。死の3ヵ月ほど前までは1日に約600ミリリットルの水分が平均して摂れていましたが、その後は急速に減少し死の直前には水分摂取量が100ミリリットル以下となりました。
     以上から、ざっくりと、死に至る高齢者は食事摂取量が減る前からBMIが年単位の時間をかけて減少、死に至る8ヵ月ほど前から食事摂取量が急速に減少し続け、さらに水分摂取量が減って死に至ることが見えてきました。
     体重、食事摂取量、水分摂取量は介護臨床では「普通にあふれている」データです。しかし、年・月単位といったロングタームでその推移を見ていると、特徴的な様子が見えてくる「超貴重」なデータです。記録したまま放置せず、平均値などの数値にしてその推移を可視化するだけで、「確かにそうした傾向がある」という「実践知」を実証する客観的な事実が見えてきます。

    図2 死亡60ヵ月前から死の直前までの平均BMI、平均食事摂取量、平均水分摂取量の推移

    図2 死亡60ヵ月前から死の直前までの平均BMI、平均食事摂取量、平均水分摂取量の推移
    Yoshiaki Kawakami, Jun Hamano. Changes in Body Mass Index, Energy Intake, and Fluid Intake over 60 Months Premortem as Prognostic Factors in Frail Elderly: A Post-Death Longitudinal Study. International Journal of Environmental Research and Public Health. 2020. 17. 6. 1823

    実践知を統計解析を使って
    確かめる

    BMIなどの推移を活用している施設があります

     特養Aでは、個別の入居者について、BMIや食事摂取量の推移を独自の書式を用いてグラフ化しています。そして、看取りの時期に近づいていることを家族に伝える際の、目に見える資料として活用しています。
     私が都内の特養の施設長だった時も、これらの推移を利用者個別のグラフにしてご家族に提示しておりました。あるご家族は看取りが終わった後に施設を訪ねてこられ、「(火葬後の)収骨の時、ほとんど骨が残っていなかったのです。これがBMIの低下の意味だったのか……と納得しました」と言われました(*2)。

    グラフから読み取ったことは
    間違いない法則なのでしょうか

     図2のようなグラフは、見る者が都合の良いように解釈してしまう可能性があります。科学的であるためには、統計解析という検証方法を使って、数値として確かめる必要があります。そうしなければ、科学的な根拠が証明できず、一般的な法則であると言うことができません。
     ちょっと難しいですが、そういうものか……と思ってお読みください。図3は、BMI、食事摂取量、水分摂取量の数値の変化が、看取りの時期を見極める性能があるかどうか検証したROC曲線と言われるものです。グラフの下の部分の面積をAUC(Area Under the Curve)と呼び、値が1に近いほど見極める性能が高いことを示しています。  死に至る2年前から1年間と、死に至る1年前から死までの各数値の変化量を比較しましたが、食事摂取量のAUCは0.912であり、死の時期を見極める性能が特に高いことを示しています。その次に水分摂取量、そしてBMIの順に性能が高いということが証明されました。この3者をあわせて各数値の変化を観察していけば、より確かに看取りの時期が見極められると思います。

    図2 死亡60ヵ月前から死の直前までの平均BMI、平均食事摂取量、平均水分摂取量の推移

    図3 食事摂取量、水分摂取量、BMIについて、死に至る2年前から1年間と、死に至る1年前から死までの変化量を比較したROC曲線
    Yoshiaki Kawakami, Jun Hamano. Changes in Body Mass Index, Energy Intake, and Fluid Intake over 60 Months Premortem as Prognostic Factors in Frail Elderly: A Post-Death Longitudinal Study. International Journal of Environmental Research and Public Health. 2020. 17. 6. 1823

    食べているのにやせていくって、
    ほんとうなのでしょうか

     食事をしているのにBMIが減少する、つまり「食べているのにやせていく」ことが見て取れましたが、ほんとうにそうなのか、やはり統計的に検証する必要があります。対象の高齢者数を131人に拡大し検証をした結果が表1です。簡単に説明すると、BMIは死亡60ヵ月前(5年前)から死亡時まで有意に、つまり偶然の出来事ではなくて確かに減少していったのに、食事摂取量(体重あたり)は、死亡12ヵ月前(1年前)から急激に減少したことが検証されました。
     食事摂取量は減らないのにBMIは減少していたことが統計解析により確かめられたのです。

    表1 死亡60ヵ月前からのBMIおよび体重あたりの食事摂取量について、6ヵ月前の測定値と比較した平均変化率
    Yoshiaki Kawakami, Jun Hamano. Mortality Risks of Body Mass Index and Energy Intake Trajectories in Institutionalized Elderly People: A retrospective cohort study. BMC Geriatrics. 22(1): 2022. doi: 10.1186/s12877-022-02778-1

    表1 死亡60ヵ月前からのBMIおよび体重あたりの食事摂取量について、6ヵ月前の測定値と比較した平均変化率

    看取りの前、介護臨床で行われている
    「穏やかさ」を優先した
    食事摂取

    食事摂取量が減っていく原因は
    何だったのでしょうか

     死に至る8ヵ月前から死の時まで食事摂取量が急速に少なくなっていきました。その食事摂取量の減少の原因は何だったのでしょうか。これも介護臨床に「普通にあふれている」データを使って明らかにしてみました。
     施設Aでは、介護記録はパソコンで入力しています。そして高齢者が食事を食べられなかった原因について記録を残しているため、それらのテキストデータから特定の単語を抽出することができました(テキストマイニングと呼ばれます)。そして特に食事が食べられない時に頻回に入力された単語を特定し、その単語の記述回数を分析したところ、図4のようなグラフを描くことができました。
     単語を下記の4つのカテゴリーに分類しましたが、実際に入力されていた単語は次のとおりです。
    ①嚥下に関する単語:「開口悪」「ムセ込み」「溜め込み」
    ②覚醒に関する単語:「熟眠」「傾眠」「眠気」
    ③気道浄化に関する単語:「痰絡み」「喘鳴」
    ④拒否に関する単語:「拒否」「欠食」
     皆様もこうした単語を記録したことがあると思います。食事摂取量が減少するとこうした単語の記述回数が増えてきますので、これらの単語の内容が食事が摂取できない原因となっているようです。統計的な検証をしたところ、これらの単語の記述回数と食事減少の相関関係には強い相関が示されました(図5)。

    図4 死亡60ヵ月前から食事が摂れなかった理由を示す単語の記述回数と食事摂取量の変化

    図4 死亡60ヵ月前から食事が摂れなかった理由を示す単語の記述回数と食事摂取量の変化
    Yoshiaki Kawakami. Decrease in food intake and mortality risks of elderly individuals indicated by the reason for decreased food intake: A retrospective cohort study. Journal of Tokyo Ariake University of Medical and Health Sciences. 13: 2022, 19-26.

    図5 死亡24ヵ月前から死亡時までの4つのカテゴリー別単語群の記述回数と食事摂取量(kcal)

    図5 死亡24ヵ月前から死亡時までの4つのカテゴリー別単語群の記述回数と食事摂取量(kcal)
    Yoshiaki Kawakami. Decrease in food intake and mortality risks of elderly individuals indicated by the reason for decreased food intake: A retrospective cohort study. Journal of Tokyo Ariake University of Medical and Health Sciences. 13: 2022, 19-26.

    食事摂取量よりも「穏やか」であることが大切

     図4のグラフから、特養Aでは入居者の方々を「穏やか」な「最良の状態に置く」ためのケアが行われているのではないかと考えました。その理由は次のとおりです。
     アルツハイマー型認知症者の不快感評価尺度(Discomfort Scale–Dementia of Alzheimer Type; DS-DAT)を用いた観察研究では、喘鳴などの閉塞した呼吸による不快感がないことが高齢者には大切であり、特に眠って過ごした患者は、はるかに不快症状が低いレベルであったとしています。特に眠ることができるのは「穏やか」であることの条件であるとしています(*3)。
     つまり特養Aでは、嚥下が悪いことや喘鳴などの状態を苦しいものと受け止め、熟眠、傾眠の状態について、眠って過ごせることが「不快感がない状態」でより望ましいと判断し、食事摂取量の維持よりも「穏やか」を維持することを優先したと見ることができるのです。

    コンフォート・フィーディング・オンリー;
    Comfort feeding only(CFO) という考え方

     図2から明らかになったことのひとつは、ロングターム・ケアを受け死に至る高齢者は「食べているのにやせていく」ということでした。ということは、食事摂取量を増やしても体重は維持できない状態であり、胃ろうなどの経管栄養で摂取するカロリー量を増やしても、同様の結果となるかもしれないということです。また死に至る8ヵ月前からは、「開口悪」「ムセ込み」「溜め込み」、「痰絡み」「喘鳴」のため食事量が減少していきました。
     そうであるならば、介護者の手で注意深い食事介助を継続し、食事の「量」よりも、むしろ食事については「快(コンフォート; comfort)」を目指すケアにその方向性をシフトすることが合理的であり、かつ看取りにおける目的により適合していると考えられます。
     認知症末期になったときの経口摂取について、命を伸ばすための食事摂取ではなく、食べる楽しみや穏やかさを目的とする「コンフォート・フィーディング・オンリー; Comfort Feeding Only(CFO)」、つまり、もっぱら穏やかに食事できる状態をめざすという考え方があります(*4)。BMIが減少し続け、食事摂取によっても体重維持が難しい状態となり、食事を前にしても傾眠がち、開口が悪い、溜め込んでしまう、また痰絡みがひどくなるといった状態がめだつようになれば、できる限り「穏やか」な状態が確保される範囲で食事や水分を摂るという、介護臨床における老年期の緩和的なケア(Geriatric Palliative Care)に転換していくことがより適切と考えます。

    介護臨床に欠かせない科学的思考

    個々の事例も大切だが全体の中から
    法則性を見ていく

     たとえば、食事が摂れなくなった高齢者について、「排泄などの管理をした結果、食事が摂れるようになるケースもある」と個別事例のエピソードをとりあげて、本稿の図で示したような全体の傾向を否定しようとする人がいます。
     そうした例外的なケースは必ずありますが、かといって全体の傾向を否定することはできません。そのために統計を使って、発生した事柄は偶然得られた結果ではなく、集団にとって客観的な事実であることを科学的に証明するわけです。新型コロナウイルス感染症のワクチンも全員に100%有効なわけではなく必ず例外がありますが、多くの方には有効性が必然である可能性を統計的に証明し、実施しているわけです。
     個々の事例を、ひとつひとつ大切に検討していくことも必要です。一方、臨床の事象を科学的に見ていくためには、個々のデータを集約し統計的に法則性を証明することが欠かせません。

    ケアの理念と科学的証明

     この「介護を科学する―介護を科学する情報サイト―」には、「生命力の消耗を最小にする」といった介護の理念が書かれている箇所があります。この言葉のオリジンは、介護と看護の区別もなかった時代を過ごした近代看護教育の母と言われる、フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、 1820年5月12日~1910年8月13日)の名著『看護覚え書き』の一節にあります。そのナイチンゲールは同著の中で看護(ケア)の目的について「それは自然が働きかけるに最もよい状態に置くこと」(What nursing to do, is put the patient in the best condition for nature to act upon him.)と述べています。
     本稿では蓄積されたデータの科学的分析をとおして、BMIが低下し、食べているけれどもやせていき、食事量や水分量が減少する高齢者に対して、できる限り穏やかな状態を提供する実践知、つまり死に至る高齢者を「最もよい状態に置く」介護臨床の現状を明らかにすることができました。ロングターム・ケアの場で死にゆく高齢者の「実践知」が科学的な分析によって可視化され、その「実践知」は、ケアの目的にぴったりと一致していることも明らかになったわけです。
     介護臨床を社会的に高い評価が得られる専門職域とするためにも、「実践知」の数々を科学的に証明し、その実践には「高齢者ケアの理念」が貫かれていることを明らかにすることが不可欠となっているといえるでしょう。
    ※本稿のサブタイトルの『統計という魔法の杖』(現代社白鳳選書)は、統計の面白さを伝えてくれます。
    ※本文内の調査結果とその分析、またそこから得られた考察は、2018年度~2021年度 文部科学省科学研究費助成事業・若手研究(研究課題番号:18K17623)の助成を受け実施した研究成果の一部です。

    *引用文献

    *1. 厚生労働省. 平成28年介護サービス施設・事業所調査の概況.
    https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kaigo/service16/
    *2. 川上嘉明. 穏やかに逝く. 環境新聞社. 2009.
    *3. Pasman HRW, Onwuteaka-Philipsen BD, Kriegsman DMW, et al. Discomfort in nursing home patients with severe dementia in whom artificial nutrition and hydration is forgone. Arch Intern Med. 2005; 165(15): 1729-35.
    *4. Palecek EJ, Teno JM, Casarett DJ, et al. Comfort Feeding Only: A Proposal to Bring Clarity to Decision-Making Regarding Difficulty with Eating for Persons with Advanced Dementia. J Am Geriatr Soc. 2010; 58(3): 580–584.

    川上嘉明

    川上嘉明

    東京有明医療大学 看護学部 看護学研究科 教授
    看護師 社会福祉士 介護支援専門員
    千葉大学大学院 看護学研究科 博士後期課程修了

    病院看護師、訪問看護師、在宅介護支援センター長、特別養護老人ホーム施設長として、約20年の臨床経験を積み、現在は東京有明医療大学看護学部で、老年看護学を中心に教鞭をとる。

  • イメージ|ケアする建築とは?

    ケアする建築とは?

    長澤 泰東京大学 名誉教授
    工学院大学 名誉教授

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    ケアする建築とは?

    長澤 泰(ながさわ・やすし) 東京大学名誉教授・工学院大学名誉教授

    イメージ|ケアする建築とは?

    建築がケアにどのような影響を与えるのでしょうか。「ケアする建築とは?」というテーマで病院建築を専門にする長澤泰さんに話を伺いました。

    社会や他者とのつながりを
    施設が奪っていないか

    ケアする建築とはなにか

    このテーマを考えるにあたり、長澤さんは「トータル・インスティテューション」に警鐘を鳴らします。

    アーヴィング・ゴッフマンが提示したトータル・インスティテューション(Total Institution)は“全制的施設”と訳されます。人々が社会から遮断され、閉鎖的な環境のもとで管理された生活を送る場を指します。生活の3大要素は睡眠・遊び・仕事ですが、これらの要素をすべて限られた同じ場所で一斉に行うところです。ゴッフマンはこのような環境では、施設の本来果たすべき役割を果たすことが困難になると主張しました。

    罪を犯した人に反省と矯正を促す目的で作られている監獄は典型的トータル・インスティテューションです。

    病院の病棟や介護施設は、ひょっとして同じような場になってはいないでしょうか?

    コロナ禍など社会的隔離が必要な状況は当然としても、入院や介護の施設では、利用者の安全を守ることを最優先し、それ以外には目を向けることを避けていることはないでしょうか。結果的に社会から遮断された閉鎖的な環境になっているかもしれません。しかし、「それでは、周辺社会の人々との出会いや交流体験が失われてしまう」と長澤さんは言います。

    リスクには常に悪い影響のみをもたらすものと、場合によっては利益をもたらすかもしれない(投機的)リスクがあります。前者を避けることは当然ですが、後者も同様に避けてしまうと、当事者の生活にとっての利益を取り去ることになります。

    近代看護の祖であるフローレンス・ナイチンゲールは次のような言葉を残しています。「患者は病院にいる限り医療・看護者に頼り切って、自分自身が回復する過程にあることを自覚しない。従って内科的・外科的治療を終えたら速やかに回復期の環境に移すべきである。」

    「患者」、「要介護者」の医療・介護施設での暮らしが長くなると、ケアされる立場が当たり前と思うことになる。そうなると生きる意欲や回復への志向を妨げてしまう、と言えるのかもしれません。

    ケアする建築とは、
    害を与えない建築である

    歴史上初めての病院建築家とも言えるフローレンス・ナイチンゲール。ナイチンゲールの著作『病院覚え書』『看護覚え書』に記された内容は「ケアする建築」を考える上で重要な視座を示している、と長澤さんは語ります。

    ナイチンゲールは、病気というものは『健康を妨げている条件を除去しようとする自然の働き』であり、病院の医師や看護師は『患者の自然治癒力を最大限に発揮させる手助けをする専門家』だと記しています。

    このような見方からは、私のような病院建築家は、「患者の自然治癒力を最大限に発揮させるための環境づくりを総合的視点から手助けをする専門家」と言えるでしょう。

    「自然治癒力を最大限に発揮させるための環境づくり。」 この視点は、病院や医療従事者のみならず、福祉施設や介護従事者にとっても大切です。利用者自身ではできないことをサポートするだけでなく、「利用者自身が回復しよう、よりよく生きていこうという意欲がわくような環境づくり」の視点をもつこと。そうすることで、良い介護とはなにかを掘り下げることができるのではないでしょうか。

    では自然治癒力が最大限に発揮できる建築とはどのようなものなのか。長澤さんは、さらに続けてナイチンゲールの言葉を引用します。

    「病院建築の第一条件は、病人に害を与えないこと」であり、「良い病院とは、見かけが立派なことでなく、患者に常時、新鮮な空気と光、それに伴う適切な室温を供給しうる構造のものである。」 これは、クリミア戦争(1853~1856年)での看護師長としての経験を帰国後統計学的に検証して記されたものでした。

    近代西洋医学が発展する直前の時代に、ナイチンゲールが提唱した病院は、手術室や精神病患者用の隔離個室も最小限のレベルで備わっていましたが、病棟面積はおよそ全体の90%を占めていました。これらの病棟は高さの2倍以上の隣棟間隔で配置されて、パビリオン型(分棟型)と呼ばれます。ナイチンゲールの指摘通りに自然換気と陽光の取り入れを重視して、1ベッドごとに40立方メートルの気積(空気のかさ)を持たせて、縦型の窓を通して自然換気ができるようになっていました。このようにして機械換気設備や扇風機もない当時の病棟で院内感染を防いでいたのです。

    出典:市ヶ谷出版社『建築計画(改訂版)』

    出典:市ヶ谷出版社『建築計画(改訂版)』(長澤泰編著、在塚礼子・西出和彦著)p.133

    ナイチンゲールは『病院では患者のベッドから窓の外の景色が見えることが重要』とも指摘しています。陽の光が入ってくる瞬間や、夕日の沈む様子がわかることが大切なのです。新鮮な空気と陽光に代表される自然界の動きを感じることが患者の回復を高めると言っています。

    最近の研究では、窓から樹木が見える病室とレンガ壁しか見えない病室に入っていた外科患者の10年間にわたるカルテを比較し、前者の方が手術後の退院までの日数が短いと報告されています。自然環境がケア環境に影響することを知っておく方がいいでしょう。

    機能的で「住みやすい」空間ではなく、
    美しくて「住み心地がよい」空間

    続けて、長澤さんは「これからは病気を治す場だけではなく、各人の健康を支える場を創り出すことが必要なのでは」と語ります。

    私は、30年以上前から病気の館である「病院」だけではなく、健康の館である「健院』の必要性を提唱してきました。現在までは医療や福祉サービスが疾患のみに目を向けて来ました。近頃は患者を1つの人格として見直し始めていますが、さらに人間の健康を全体的に扱う場が必要だと思います。

    このような「場」では、自然のみならず社会とのつながりが重要です。社会から施設を隔離しないようにして、周辺地域に向けての社会化が必要でしょう。

    癒しの環境の変遷

    人それぞれの健康を扱える「場」を築いていく。その空間を設計するときに大切な視点を、長澤さんは次のように教えてくれました。

    建築家の丹下健三さんは『美しきもののみ機能的である』と述べています。健院は美しい空間であることが条件の一つです。美しさとは、たとえば、優れた音楽や絵画のように人を感動させるもの。美しさを通して初めて、十分に空間の機能を人間に伝えることができると言っているのだと思います。

    施設において言えば、機能的で『住みやすい』空間を目指すのではなく、美しくて『住み心地がよい』空間であるべきなのではないでしょうか。美しさや心地よさは、ケアを必要とする人だけではなく、そこで働くスタッフにももちろん必要です。劣悪な環境では、いい仕事はできない。働きやすい職場だけではなく、働き心地のいい建築や環境が重要なのではないでしょうか。

    ケアする建築とは?

    長澤さんの話を伺いながら、いくつもの場所が思い浮かびました。

    たとえば、宮城県仙台市にある社会福祉法人ライフの学校。特別養護老人ホームと地域を隔てる生垣を取り払い、庭をひらくことで、地域で暮らす人々や社会とのつながりを育もうとしています。

    医療法人社団オレンジが運営するケアの文化拠点ほっちのロッヂ。長野県軽井沢町の林のなかに佇むこの場所は、半屋外の庭をつくり、自然とのつながりを当たり前のように確保しています。

    株式会社シルバーウッドが運営するサービス付き高齢者住宅銀木犀。フローリングをはじめ内装には無垢の木を使っており、置いてある家具は、和歌山県田辺市に住む家具職人によって手作りされています。「住みやすい」ではなく、「住み心地がよい」視点を持って建てられた場であると言えるのではないでしょうか。

    日本財団が運営する『みらいの福祉建築プロジェクト』では「建築が変わり、福祉が変わり、まちが変わる。福祉施設が、地域に開かれた魅力ある場所となり、地域でより愛され、多様な人たちとともに地域と福祉のみらいをつくっていく」という言葉が掲げられています。

    ここでご紹介したのは、あくまで一部にすぎません。しかし、「ケアする建築」は、各地で育まれつつあります。それぞれの場所で育まれたものが、これからを共に生きる人たちの健康で文化的な生活を支えていくことでしょう。そう考えると、このテーマからますます目が離せなくなりそうです。

    長澤 泰

    長澤 泰

    東京大学名誉教授・工学院大学名誉教授
    工学博士 専門は病院建築計画学

    国際病院設備連盟会長、日本医療福祉建築協会会長、国際建築家連盟公衆衛生部会理事、日本病院管理学会理事、日本ファシリティマネジメント協会理事他を歴任。世界各国の大学と連携してGUPHA(Global University Programs for Healthcare Architecture)という研究体制を創設し、2050年の病院のあり方やヘルスケアの環境などを世界的な規模で検討。また、コロナ禍を受けて設立したハピネスライフ財団の理事長として、空港・港湾エリアを活用し国内旅行者・帰省者、訪日外国人などへの場を提供し、医療現場の崩壊を防ぐ取り組みを進めている。

  • イメージ|経営学的な視点から見た介護業界経営学的な視点から見た介護業界 ― 進化する組織はどのように作り出せるか ―

    経営学的な視点から見た介護業界
    ― 進化する組織はどのように作り出せるか ―

    紀伊信之株式会社日本総合研究所
    リサーチ・コンサルティング部門
    高齢社会イノベーショングループ 部長

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    経営学的な視点から見た介護業界
    ― 進化する組織はどのように作り出せるか ―

    紀伊信之(きい・のぶゆき) 株式会社日本総合研究所 リサーチ・コンサルティング部門
    高齢社会イノベーショングループ 部長

    イメージ|ケアする建築とは?

    事業所ごとのケアのパフォーマンスの差・バラつき

     「介護を科学するサイト」ということなのですが、私自身は文系、経済学部の出身です。大学時代は経営学、マーケティングを学んでいました。株式会社日本総合研究所に入社した後は、民間企業の事業戦略作りや商品開発、経営改善のお手伝いを10年以上経験しました。2013年にヘルパー2級の資格を取ってから、介護業界に関わるようになり、今は介護業界に関する調査研究やコンサルティングに従事しています。そうしたバックグラウンドや経験を活かし、ここでは、「経営学」的な視点から、介護業界について思うところを書いてみたいと思います。
     さて、介護業界で働く皆さんは、感覚的に「良い事業所」と「そうでもない事業所」がある、ということは何となく感じていらっしゃるのではないかと思います。それが数字に表れた調査結果があります。
     介護付き有料老人ホーム667件を対象に、半年間の救急搬送の延べ回数を調べた調査があります。結果は、「0回」が12.6%である一方で、「6~9回」(つまり月1回以上)が12.6%、「10回以上」というホームも5.8%あり、回数のバラつきが非常に大きいことがわかります。

    介護付き有料老人ホームでの119番への救急要請延べ回数(2020年2〜7月の半年間)定員50人換算|n=667

     搬送の原因の多くは誤嚥性肺炎や骨折等なので、要介護度の違いが原因ではないかと思ったのですが、平均介護度2.0~2.5の施設だけを見ても、概ね同じくらいのバラつきの結果になっています。どうやら、要介護度の問題ではないようです。
     介護付き有料老人ホームであれば、価格帯も様々なので、人員配置の手厚さの違いだろうかと思いました。そこで、特別養護老人ホームに対する同様の調査結果も見てみました。特養1,089件に対する調査結果では、「0回」が26.5%と四分の一を占める一方で、やはり「6~9回」が9.8%、「10回」が6.9%となっています。

    特別養護老人ホームでの119番への救急要請延べ回数(2020年2〜7月の半年間)|n=1089

     なお、群馬県の73件の特養を対象とした別の研究では、1年間の救急搬送件数は、最小の施設が0名、最多の施設はなんと47名となっていました。特養なので、入居者は原則要介護度3以上で、そこまで大きな違いがあると思えませんし、入居費用や人員配置も、民間の介護付き有料老人ホームほどのバラエティはないと思います。つまり、入居者の状態や、人の配置はそれほど変わらないにも関わらず、結果として、何度も救急搬送することになってしまっている施設と、救急搬送がほとんどなく平穏に過ごせている施設まで、非常に幅が広いということです。住宅型有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅に関する調査でも、概ね同じような結果になっていました。
     もちろん、半年間や1年間という短い期間ですので、「たまたま重なる」ということはあると思います。また、「救急搬送」という事実だけをもって事業所の質を測れるわけではないでしょう。しかし、この差、バラつきは気になるところです。経営学は、どうすれば企業が安定して業績・パフォーマンスを向上させることができるかを研究する学問ですから、経営学的な感覚でいうと、ケアのパフォーマンスの一つである「救急搬送回数」の差がどこから生まれているかを分析したくなってしまいます。少なくとも、入居者の状態や人員配置以外の変数・要素がそこには関わっている、ということは言えそうです。
     ちなみに、総じて高いと言われる介護業界の離職率も事業所間で随分バラつきが大きいことがデータからわかります。6,412件の介護事業所への調査結果では、1年間の離職率が10%未満の事業所が46.6%と半数近くを占める一方で、20~30%が13%、30%以上が18.2%と、かなり差があります。離職防止策が取りにくい小規模事業所で離職率が高い傾向にはあるものの、同じ規模感の事業所間でも当然、バラつき・差があるようです。単純に事業所規模だけで語れない要素があるのだと考えられます。
     おそらく、「救急搬送」や「離職率」以外にも、ホームや住まいでの看取り率、要介護度の維持・改善率等、様々な指標について、一見同じような条件の事業所間でも、バラつき・差が生じているのではないかと推察されます。

    ケアのパフォーマンスを左右するもの 
    ―「人」と「マネジメント」―

     こうしたケアの成果、パフォーマンスの差はどこから生じているのでしょうか。また、介護の現場で働く人々にとって、自らの職場でより良い成果を生むために何ができるのでしょうか。
     仮説として、少し単純化した次のようなモデルを考えてみました。ケアのパフォーマンスに差がある、というのは、当然、実施しているケアの内容が異なる、ということから来ているはずです。では、このケア内容の差はどこから生まれているのでしょうか。

    ケア内容の差はどこから生まれているか

     まず考えられるのは「ケアする人」です。人員配置の手厚さ(マンパワー)を除けば、ケアする人のスキルや知識、モチベーションは当然、ケアの内容やパフォーマンスに影響するでしょう。ベテランでモチベーションの高い集団と、「言われたことだけをやる」新人集団とでは、前者の方がケアの質やパフォーマンスが高いに決まっています。しかし、そんな理想的な集団が簡単に作れれば誰も苦労はしないでしょう。むしろ、人材不足が深刻化する中、未経験者や経験の乏しい人に、いかにこの仕事の意義や醍醐味を徐々に実感してもらいながら、スキルとモチベーションをあげていってもらうかが、多くの介護現場が頭を悩ませているポイントです。後述しますが、介護業界において働き手のモチベーションを高めることは極めて重要だと思います。
     さて、「人」と同様に、あるいはそれ以上に差を生んでいると考えられるのは、利用者に最適なケアを提供するための組織のマネジメントや組織を動かす仕組みです。具体的には、人材育成や適材適所の配置、職場内でのコミュニケーション・連携がどのように行われているか、サービスの品質を向上させる仕組みとして何が行われているかといったことが要素として挙げられます。複数の施設・事業所を運営する法人にコンサルティングや調査で関わることがありますが、同じ法人内でも、施設長やホーム長の考え方によって、事業所の運営のやり方が随分違うことが少なからずあります。その結果、入居率・利用率や売上に加え、冒頭にあげたような救急搬送や入院日数等のケアの質に関わるパフォーマンスに差が生じていることも目にします。
     特に組織のマネジメントにおいて重要なのは、常に「昨日より今日、今日より明日良いケアを目指そう」という「改善・進化」ができる組織か、という点です。介護現場を取り巻く環境は刻々と、しかも大きく変化しつつあります。人材の採用は今後ますます難しくなるでしょう。介護保険制度も変わっていきます。テクノロジーの活用も、もはや不可欠になりつつあります。そうした中で、変化に適応し、問題に対処しながら、目の前の入居者・利用者の方々にとって最適なケアを提供していくためには、組織自身が日々、改善、進化していかなくてはなりません。「以前から、こうやっていたから」「これがうちの昔からのやり方だから」と変化を嫌う組織では、良いケアを提供し続けることは難しいでしょう。
     ケアに関わる「人」をモチベートし、組織を日々改善・進化させていくこと。これが介護現場のマネジメントの根幹であり、介護現場のリーダーに期待される2つの大きな役割です。介護現場において求められるリーダーとは、「他の人よりうまく(早く)ケアができる人」ではありません。そうではなく、リーダーの役割は、「マネジメント」なのです。それぞれ、説明していきましょう。

    ケアする人をモチベートする

     働く人のモチベーションが企業の業績を左右する、という点は経営学の分野では広く知られています。社員満足度が高い企業は安定的に業績が高く、満足度の低い企業は業績が低迷している、という相関関係が確認された調査研究もあります。
     他の業界と比べても、介護業界ほど、働く人のモチベーションが仕事の成果を左右する業界はないと思います。現場の働き手の裁量が極めて大きい業界だからです。一人ひとりの働き手が、「言われたことだけをやる」のか、「入居者・利用者のQOLを高めるために何ができるか考えながらケアする」のか、それにより実際に行われるケアもまったく違ったものになるでしょう。ケアの内容自体は決まっていても、ケアの細部、例えば、日々、入居者・利用者のどのような声掛けを行うか、入居者・利用者の状態をどこまで注意して観察できるか、こうした点は一人ひとりのスタッフにゆだねられています。しかし、こうしたケアの細部によってこそ、ケアの成果は大きく変わってきます。
     「スタッフのモチベーションをあげようにも給料が上がらないから…」と考える人も多いかもしれません。確かに給与・処遇は重要です。ところが、実は給料を上げることは、働く人の不満は減らすけれども、モチベーションをあげる大きな要素ではないことが知られています。アメリカの臨床心理学者のハーズバーグは、仕事に対する満足をもたらす要因と不満をもたらす要因が異なることを示し、前者を動機付け要因、後者を衛生要因と呼びました(動機づけ・衛生理論)。動機付け要因として、仕事の達成感、責任範囲の拡大、能力向上や自己成長、チャレンジングな仕事などが挙げられます。一方、衛生要因としては、会社の方針、管理方法、労働環境、作業条件(金銭・時間・身分)等が挙げられています。つまり、給料が上がったら不満は下がるけれども、それによってやる気がでるわけではない、ということです。むしろ、良いケアをして利用者・入居者に喜んでもらえた、状態が良くなった、仕事を任せてもらえるようになった、以前できなかったことができるようになった、といったことがモチベーションをあげる要因なのです。これらは、まさに、現場のリーダーがスタッフに対して働きかけられる要素ではないでしょうか。これが、リーダーの大きな役割の一つは、働く人をモチベートすることだ、という理由です。
     モチベーションをあげるアプローチは、自分自身の感情など内なるものから行動につながる「動因(ドライブ)」から動機づけされる「内発的動機づけ」と、報酬などの外からの「誘因(インセンティブ)」によって動機づけされる「外発的動機づけ」の二つのアプローチに分けられます。前者の「内発的動機づけ」は現場のリーダーに期待される要素です。
     実際、介護業界における研究では、内発的動機づけについて、次の点が大事であることがわかっています。
     第一に、利用者との関係です。利用者のニーズに応じた介護、利用者に寄り添ったケアを行った手ごたえを感じたときに、専門職としてやりがいを感じることが示されています。
     第二に、組織やチームの人間関係です。特に上司や同僚からのサポートが受けられる環境にあるか、という点が大きいと言われています。グループホームの介護職員を対象にした調査では、上司が意見を聞いてくれるかどうか、上司が認めてくれるかどうかはやりがい、満足、仕事の魅力、楽しさに関連すると報告されています。
     第三には、仕事の裁量感(コントロール感)や自律性、有能感、自らの仕事の意義や専門性を実感できることです。特別養護老人ホームを対象としたアンケート調査により、「仕事のコントロール」が「仕事の魅力」を有意に高めることが明らかになっています。逆に裁量や決定権がない職場では、自己実現の機会やコントロール感を満たす機会が少なくなり、仕事に対するやりがいや魅力が低下することが示唆されています。また、専門性については、介護老人保健施設に勤務する職員への調査では、「仕事に対する肯定的なイメージ」、「仕事の達成感」、「専門職としてのアイデンティティ」がモチベーションに直接的に影響するとされています。ややもすると、業界外からは「誰でもできる仕事」とみられることもありますが、実際は極めて専門性の高い仕事です。自分たち自身で、仕事の専門性が感じられること、そのことを通じて、自分の仕事に誇りがもてるかどうかはモチベーション向上のために極めて重要なのです。
     いかがでしょうか。いずれも、現場リーダーがコントロールできそうな要素ではないでしょうか。働き手一人ひとりの声に耳を傾けながら、裁量を与え、考える機会を提供し、良いケアができればそれをしっかり認める。こうした日々の積み重ねにより、介護職としての「内なる動機」を引き出していくこと。これが現場リーダーに求められる人材マネジメントのポイントです。重要なことは、利用者・入居者一人ひとりと向き合うように、リーダーとして、ケアする現場スタッフにも人として接する、向き合うことではないかと思います。

    組織を日々進化させる PDCAサイクルの推進

     次に、組織の改善・進化です。他の業界に比べて、介護現場は特に変化に対する抵抗感が強い業種だという印象があります。ICTツールの導入をお手伝いすることがあるのですが、これまでと違うやり方、違う方法への反発が少なからずあることがほとんどです。しかし、そうしたテクノロジーの活用に慣れている組織では、相対的に抵抗が少なく、新しい機器の導入がスムーズに進みます。また、そうした組織では、テクノロジー以外の分野、例えば地域交流、入居者の自立支援、ACP、ノーリフトケアといった別のテーマについての取組みも抵抗なく進んでいくことが多い気がします。変わること、改善すること、進化することが習慣化されている組織は、特定の分野に限定されず、「入居者・利用者への最適なケア」「より良いケア」という目的に向かって、柔軟に新しいものを取り入れる素地・風土が出来上がっているように思います。
     ここでいう、素地・風土は、「PDCAサイクルが回っているかどうか」と言い換えることもできます。目標を立てたうえで、どうすればその目標が達成できるかを考え(Plan)、実践してみて(Do)、何が、何故うまくいったか・いかなかったかを検証し(Check)、改善策を検討し・実践する(Action)。利用者個々人のケアマネジメントと同じように、この一連のプロセスの繰り返しを通じて、組織は改善・進化していくのです。スタッフを巻き込み、このPDCAサイクルを推進していくことが、現場のリーダーには求められます。
     PDCAサイクルにおいて、まず必要なのは目標を共有化することです。目標を明確にし、言語化しないと成果を出すことは難しいでしょう。逆に、目標が定まり、共有可されれば、そのテーマに関してはぐっと取り組みが進むことがあります。スーパーでは、レジの横に電池や電球、ガムなど「あと一点の買い足し商品」が置いてあることが多いと思います。あるスーパーでは、このレジ横について、担当や目標を決めず、何となく商品を並べていただけだったものを、仕入れ・陳列の担当者を設定した上で、売上の目標を決め、工夫して商品選定をしてもらうようにしたところ、売上が数倍に伸びたそうです。このように、「目標を決めて、意識して取り組む」ことは、成果を出す上では極めて重要なのです。
     ここで、是非、現場を引っ張るリーダーに意識してほしいことは、目標を定量化、すなわち、「数字で表す」ことです。介護の業界では、「その人らしさ」「寄り添う」といった定性的な言葉遣いが多く、数値化することに抵抗を覚える人が少なくない気がします。もちろん、その人個々人のストーリー、実現したい夢など、数字に表れない要素は大切で、それを否定するものでは全くありません。一方で、検証し、目標通りにできたかどうかを振り返り、目標通りできた理由、できなかった理由を考えて次に生かすためには、定量化することが欠かせません。「科学」において、定量化されていることは、大前提の一つです。
     以下に例を示しますが、意外と、介護の現場にも定量化して目標設定できそうなものが多数あることがおわかりいただけるのではないでしょうか。介護以外のサービス業では、様々な分野・テーマで定量化を行い、サービスの質の向上を図ることが一般的です。介護に近い医療の業界でも同様です。首都圏で在宅医療を行う悠翔会では、人生の最期を支える上での品質指標として「急変を減らす」「入院を減らす」等を掲げて管理しているほか、看取りに関わった家族に、「悠翔会を親しい家族や友人にのど程度勧めたいと思うか」という推奨度(ネットプロモータースコア)も質問し、可視化しているそうです。

    定量化できるもの(例)
    <利用者・入居者に関わること(事業所全体)>
    ・救急搬送件数
    ・入院日数
    ・要介護度やADL変化
    ・利用者や家族の満足度、推奨度
    ・(防止できる内容の、防止することに意味がある)事故件数
    ・褥瘡の発生状況
    ・看取り率
    ・多剤投与による有害事象(ポリファーマシー)が疑われる人の数

    <業務に関わること>
    ・充実させたいケアに充てる時間
    ・削減したい業務に充てている時間(記録等の間接業務)
    ・効率化したい業務に関わる時間や回数

    <利用者・入居者に関わること>
    ・(個々人の)要介護度やADL変化
    ・認知症の行動・心理症状
    ・体重・BMI
    ・睡眠時間・睡眠スコア
    ・活動量

    <働き手に関わること>
    ・従業員の満足度、モチベーション、ストレス度合い
    ・従業員の健康度合い(腰痛などの身体、メンタル)
    ・従業員の法人への愛着度、信頼感
    ・離職率、定着率
    ・残業時間
    ・上司・部下間等職場内のコミュニケーション機会・時間
    ・有給取得率、育休取得率
    ・人材のダイバーシティ度合い(男女、年代、国籍)

     利用者・入居者全体に関わる数値だけでなく、個々人の状況を定量化することも有効です。
     例えば、東京都で普及が推進されている「日本版BPSDケアプログラム」は、NPIスコアで認知症の人の行動・心理症状を見える化し、多職種で共有することで、その改善を目指すものです。
     こうした目標を立て、その目標に向けて創意工夫し、目標を達成する、という「成功体験」を積み重ねることは、先述の働き手のモチベーションにも、極めて大きなプラスの影響をもたらします。働き手のモチベーションは「楽すること」では上がりません。働き手のモチベーションをあげるのは「達成感」なのです。このことは、リーダーとして強く意識しておく必要があると思います。

    経営者の仕事は、リーダーを育てること、
    リーダーが能力を発揮できる環境を整えること

     ここまで、ケアに関わる「人」をモチベートし、組織を日々改善・進化させていくというリーダーに期待される役割を述べてきました。当然ですが、こうしたリーダーを育てるのは経営者の仕事です。まず、現場のリーダーに対して、「現場のマネジメント」を期待することを伝えなくてはなりません。リーダーに任命される人の多くは、他の人よりケアという仕事ができる人です。「現場をマネジメントする」という役割を伝えないと、一介護スタッフの延長で、「困ったときにヘルプに入る人」「たくさんの仕事をこなす人」になってしまう懸念があります。もちろん、ここで述べてきたような「マネジメント」という仕事は、日々のケアとは異なる別のスキル・専門性ですから、その能力を高めるための教育も必要になります。
     なにより、「マネジャー」としての仕事に時間や労力を割かなくてはなりませんから、従来のシフトと比べて、その分の余力も必要になります。現場のリーダーが「マネジャー」として働けるような人的配置を行うことも必要になります。
     いずれも、投資が必要です。しかし、この投資こそが、ケアのパフォーマンスを高め、人材の確保につながり、ひいては法人の業績に貢献するはずです。
     進化する組織の要となるリーダーを育てること、そして、そのリーダーが能力を発揮できる環境を整えること。これは経営者にしかできない、経営の根幹にかかわる仕事ではないでしょうか。

    *引用文献

    *1. PwCコンサルティング「高齢者向け住まいにおける運営形態の多様化に関する実態調査研究事業」令和3年3月(令和2年度老人保健健康増進等事業)
    *2. PwCコンサルティング「特別養護老人ホームにおける看取り等のあり方に関する調査研究事業」令和3年3月(令和2年度老人保健健康増進等事業)
    *3. 山下喜代美、橋本由利子、河内智子(2019)「特別養護老人ホームにおける救急搬送の現状と要因に関する考察」東京福祉大学・大学院紀要 第9巻 第1-2合併号p29-37
    *4. 公益財団法人 介護労働安定センター「令和2年度介護労働実態調査 事業所における介護労働実態調査 結果報告書」
    *5. 菅野雅子(2020)「介護人材マネジメントの理論と実践」(法政大学出版局)

    紀伊信之

    紀伊信之

    株式会社日本総合研究所
    リサーチ・コンサルティング部門
    高齢社会イノベーショングループ 部長

    1999年 京都大学経済学部卒業後、株式会社日本総合研究所入社。B2C分野のマーケティング、新規事業開発等のコンサルティングを経て、2018年より現職。介護現場へのテクノロジー活用、ケアマネジメント、介護人材確保、認知症共生、予防・健康づくりなど介護・高齢者・ヘルスケア関連の様々な官民の調査・コンサルティングに従事。

  • ナイチンゲール思想から学ぶケアの本質

    ナイチンゲール思想から学ぶ
    ケアの本質

    金井一薫ナイチンゲール看護研究所 所長

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    ナイチンゲール思想から学ぶ
    ケアの本質

    金井一薫(かない・ひとえ) ナイチンゲール看護研究所 所長

    イメージ|ナイチンゲール思想から学ぶケアの本質

    なぜ今、介護・福祉領域で
    ナイチンゲール思想なのか?

     ケアを実践している皆さまは、ナイチンゲール思想がなぜ今、ここで語られるのか? ナイチンゲールは看護界とつながりが深い人物であって、介護・福祉の領域には関係ないではないかという素朴な疑問を抱かれていると思います。
     それがそうではないのです。
     ナイチンゲール(1820-1910)には、知られざる多くの業績(顔)があります。病院建築家、統計学者、衛生改革者などの他に、世界に先駆けて公衆衛生を基盤とした社会福祉制度の創設に尽力した人物という顔をもっています。現在の英国の医療福祉制度は、ナイチンゲールによってその方向性が見出されたといっても過言ではありません。つまりナイチンゲールは単なるクリミアの天使ではなかったのです。
     ですから、現代において継承可能なナイチンゲールの福祉・看護思想を明らかにし、両分野の専門家がその思想を共有することは、きわめて大きな意義があると思います。とりわけ、わが国で20世紀の後半に誕生した“介護という仕事”の役割や実践の目的を考えるにあたっては、ナイチンゲール思想は大いに役に立つのです。ナイチンゲールが看護という職業を創設した当時、介護という営みは看護の中に完全に組み込まれていたからです。介護は、当時も今も英語ではnursingですし、また看護界でもcareという単語は頻繁に使われています。
     日本の制度のなか創り上げられた狭い思考は一旦おいて、またナイチンゲールへの偏見と誤解を捨てて、私の話を聴いてください。この思想を学べば、新たな視野が拓けてくるはずです。

    感染症に立ち向かったナイチンゲール

     ナイチンゲールが活躍したのは19世紀です。19世紀の英国は、第一次産業革命が成功裏に終わって、社会全体が新しい産業に沸き立ち、華やかな暮らしが営まれる一方で、その日の暮らしにも困窮する多くの貧困者層を生み出しました。人口の70%は貧困階層に属し、彼らは仕事にありつけたとしても換気がされない空間で長時間労働を強いられ、食べ物もきれいな水も手に入らず、寝る場所とてなく、不潔な路地裏や救貧院などに住み暮らしていました。まだ“社会福祉”という言葉はなく、貧困者は富を手にした人々による“慈善事業”によって救済されていた時代です。病院は形ばかりの箱モノで、治療や看護の設備は整っておらず、貧しい患者が貧しい女性たちによって面倒をみてもらっていました。
     ナイチンゲールは上流階層のお嬢様でしたが、幼い頃から自分たちの豊かな暮らしとはかけ離れた生き方をしている多くの貧しい人々の暮らしを見るにつけ、そして貧しさゆえに病気になり、不潔な環境ゆえに感染症に罹って死んでゆく人々を目の当たりにして、何とかして彼らに健康的な暮らしの中で生きてほしいと願ったのでした。ナイチンゲールはそのために自分には何ができるかを探り、必要な資料を読み、関連する領域の知識を学習し、使命が果たされる日が来ることを願い続け、その日のために準備をしていました。
     クリミア戦争という出来事に遭遇したのをきっかけに、ナイチンゲールと感染症との長い闘いが始まります。クリミア戦争全体では2万人近い英国の兵士が亡くなりましたが、そのうち1万6千人余の人が感染症で命を落としていきました。それは兵舎病院の恐ろしいまでの不潔で不衛生な環境の中で、食べ物やリネン類や衣類などの不足、さらに薬品も無いという状況が生み出した人的災害と呼べるものでした。陸軍の融通の利かない頑なな組織のあり方にも原因の一端があり、兵士の死亡に直結していました。現代で言う大規模なクラスターが、何回もあちらこちらの病院や戦場のテントなどで発生していたのです。
     彼女は到底変革できないと思われる陸軍の組織を動かし、新鮮な空気、新しい衣類やシーツ、床や壁やベッドの清掃、それに何よりも温かな食べ物を提供するという“生活を健康的に整える”実践を短期間で遂行しました。また回復に向かっている兵士たちに“読み書き”を教え、国の家族の元へお金を送り届けるというシステムまで構築しました。それは医療を超えた仕事であり、社会復帰への道筋をつけるための活動でした。この活動形態は、今では大規模災害救援活動などに踏襲されています。
     ナイチンゲールの真の働きを知れば、社会は彼女にクリミアの天使とは別の呼称を付けたと思います。しかしナイチンゲールはあくまでも兵士たちのとっては命の恩人であり、まさに兵士たちの身近に寄り添う天使だったには違いはありませんが……。
     英国社会の中に「社会福祉」という領域が定まるのは、ナイチンゲールの時代から後のことです。ですから、この時には「福祉」も「看護」も同根の歴史を共有して活動をしていたことになります。もちろん「看護」も「介護」も区別などありませんでした。両者は時代の経緯のなかで自然に役割分担して枝別れした職業です。
     さて、クリミアから帰還したナイチンゲールは、次に英国社会全体を覆う不衛生な環境改善のために動き出します。幼い頃から自分の使命であると感じていた貧困階層の人びとのために役立ちたいと思ったのです。そして「すべての女性は看護師である」と言って、病気を予防するための“しかけ”を女性たちの手に委ねる啓蒙活動を開始しました。身内の健康の守り手である女性たちに向けて書かれた書物、それが有名な『看護覚え書』なのです。

    ケアの根拠(生命の法則)を重視した
    ナイチンゲール

     『看護覚え書』(1860)は、多くの一般庶民の間で読まれました。“社会的身分の低い女性たちによる看護”という当時の常識からみれば、本書が発売当時にベストセラーになるとは思いも及ばないことでした。『看護覚え書』は第1版から第3版まで出版されています。第3版は「労働者階級版」として安価な価格で印刷され、多くの人びとの手に渡っていきました。日本でも同じですが、当時は少女たちも子守として雇われていた時代です。ナイチンゲールは第3版の付録に「赤ん坊の世話」というタイトルを付けて、ケアをする少女たちにケアの基本を説いています。さしずめ現代では“ヤングケアラー”たちへの示唆と置き換えればわかりやすいと思います。
     こうして『看護覚え書』は多くの人びとが手にして、看護の価値に目覚めたのです。本書は英国社会に長い間根づいていた暮らしのあり方に関する社会的偏見と悪しき風習を打ち砕く本でもありました。1860年にナイチンゲールが創設した看護師養成学校の卒業生たちは、ナイチンゲールの教え通りに、古い病院の医療現場を変革し、または訪問看護師となって家庭の主婦たちに、家庭の中から感染を防止するための暮らし方を教えていきました。彼女たちは、まさに社会の根底から健康を作り出すために闘う兵士だったのです。

     さて、『看護覚え書』とはいったいどのような本なのでしょう。
     これは一言でいえば、人類史上初めて“看護(介護)の定義”が書かれた書物だといっても過誤ではありません。それほど価値が高い1冊だと思います。
     『看護覚え書』のなかで、ナイチンゲールが強調したのは、看護・介護(ケア)の実践を行うにあたっては、“生命の法則”・“自然の法則”を重視して、根拠に基づく行為をしなければならないということでした。この発想は現代では“エビデンス・ベイスド・ナーシング”と呼んでいます。看護・介護(ケア)には科学的裏付けがあり、情熱だけでできる仕事ではなく、また従来の慣習や言い伝えは見直されなければならないと説いています。さらにナイチンゲールは「看護はアートであり科学である」と言明しました。こうして看護・介護(ケア)は近代科学の発展史に加えることができる領域として、その立ち位置を確保したのです。しかし、このことが実践現場ではいかに難しいことか、皆さまはよくご存じでしょう。
     そこで、本稿ではナイチンゲールの看護・介護(ケア)に関する理念を分かりやすく解いていくことにします。

    ケアの本質とは何か

     現代において<ケアとは何か>という問いほど、わかるようでわからないものはありません。ケアという単語は、そもそも“配慮”とか“気遣い”を表しており、人間なら誰でも行う行為だからです。決して介護や看護という意味が第一義的なものではありません。ケアという単語に<介護>という意味を付けて介護職の専門性を問うていく試みは、日本において始められたものでしょう。しかし、介護が1つの職業となり、その働きに一定の目的と意義を求めなければならなくなったのですから、この問いは避けて通ることはできません。
     この問いに対するまっとうな答えを探すとしたら、看護も介護も一体となっていた時代に書かれた『看護覚え書』に戻るのが手っ取り早いと思います。『看護覚え書』には看護の本質が提唱されているからで、それを介護の本質と言い換えることが可能だからです。
     『看護覚え書』では、ケア(看護)の目的を、ずばり以下のように述べています。
     「看護がなすべきこと、それは自然が患者に働きかけるのに最も良い状態に患者を置くことである(*1)」
     「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさなどを適切に整え、これらを活かして用いること、また食事内容を適切に選択し適切に与えること、こういったことのすべてを患者の生命力の消耗を最小にするように整えること(*2)」
     この表現の素晴らしさは、時と場所を超えて、変わらぬケア(看護・介護)の本質を言い表しているところにあります。この文章の「看護」を「介護」に言い換えてみれば、介護職の皆さまは、日頃なさっている仕事の目的をそこに見出すことができるはずです。
     しかしこの文章には、難解な部分があるでしょう。それは「自然が患者に働きかける」という個所と「生命力の消耗を最少にする」という個所です。
     この文章を正確に理解するには、さらに話を進めていく必要があります。

    <自然の回復過程を助けるケア>

     まずは、ナイチンゲールがいう「自然とは何か」を理解しなければなりません。ここでいう「自然(nature)」とは、私たちの「身体内部の自然」を指しています。もちろん外界の自然も関係してきますが、まずは人間という生物に生まれながらに与えられた「いのちのしくみ」に焦点を当てて考えていきます。
     私たちの「いのち」は常に、外界の変化や内部環境の変化に合わせて平衡(バランス)をとろうとしています。気温が高ければ汗をかいて体温を下げ、寒ければ毛穴を塞いで体温を逃がさず、また体に害となるものを食べれば消化管は下痢や嘔吐によって排泄し、ウィルスなどの有害微生物が侵入すれば、免疫細胞たちが集団で闘いを挑んでやっつけます。こうした“自然の力”=自然治癒力=自然の回復システムが常時発動しているからこそ、私たちの身体を形成している37兆個の細胞は健康を保ち、たとえ症状・病状が出ても、元の姿に回復していくのです。ナイチンゲールはこのプロセスを「回復過程」と名付けています。
     ケアを提供する人はまず、私たちの体がもつ“自然の力”や“いのちのしくみ”を知って、その力が体内で有効かつ強力に発動するように助けなければなりません。そのためには、医師たちのように直接身体内部に治療という形で介入するのではなく、生活を健康的に整えることによって、体内の治癒力が発動しやすい環境、条件を創るのがケア(看護・介護)の仕事になります。これが「自然の法則」や「生命の法則」を重視したナイチンゲールの考え方です。そして私たちが今、“介護の生理学”を学ぶ根本理由もここにあります。“からだのしくみ”や“いのちのしくみ”がわからないと、どのようにして体に接していいのか、どのようなケアが有効なのかを導くことはできません。

    <生命力の消耗を最小にするケア>

     ここでもう1点。
     「生命力の消耗を最小にする」という言葉の意味を正確に理解することが大切です。これは先に述べた“いのちのしくみ”にそってケアをしなければ、体内の自然の回復システムや回復過程が上手く働かず、途中でその力が妨害されたり、働かなくなったりすることを防止するための視点です。例えば発熱がある場合、身体は汗を出して解熱させようとしますが、そのとき汗を吸収した寝衣やシーツ類を取り替えずにいれば、汗が浸みた寝具類によって身体が冷えてしまい、免疫力を下げさせてしまいます。解熱時のケアは、まずは部屋を暖かくすること、寝具類の交換と同時に身体を清拭することです。こうしたケアが不足すれば「生命力は消耗し、回復過程を妨げる」のです。
     また、例えば介護度5の寝たきりに近い利用者さんに対して、ほとんど寝かせきりにして、太陽の光もなく、外の空気も吸えない閉鎖的な環境においたとしたら、筋力はますます衰え、臓器を作る細胞たちの活性化も起きませんから、変化のない環境はそれ自体が「生命力の消耗」につながります。
     このように、ナイチンゲールのケア(看護・介護)の定義を知っていると、日常のケアのあり方を考えるうえで大いに参考になるのです。

    ケアの5つのものさしを使おう!

     しかし、ケアの定義を知っているだけでは、なかなか実践に移すことは難しいものです。
     そこで、実践をケアそのものに導くために、ケアの方向性を導く「ものさし」を、ナイチンゲール思想を土台にして作り上げました。それが「ケアの5つのものさし」です。
     最初に世に出したのは1991年でしたから、すでに30年が経過しました。今では看護界のみならず、介護界でも活用が広がっています。
     そもそも「ものさし」の発想は、『看護覚え書』のサブタイトルからヒントを得たものです。『看護覚え書』のタイトルは「Notes on Nursing」ですが、サブタイトルにはこう書かれています。「What it is, and what it is not」(看護であること、看護でないこと)。
     このサブタイトルの存在に気づいたとき、私は本当にびっくりしました。あなたが行ったケア(看護・介護)は、ケアになっていましたか、それともなっていなかったですか?と問われているのです。それでこの本にはイエスまたはノーと答えるための判断基準、つまり看護とは何かについての答えが書かれていると感じました。その基準を探し出して、それを「ものさし」として活用すれば、実践の方向性と具体的方法が見いだせると……
     こうして創ったのが以下の「5つのものさし」です。

    【ケアの5つのものさし】
    ①生命の維持過程(回復過程)を促進する援助
    ②生命体に害となる条件・状況を作らない援助
    ③生命力の消耗を最小にする援助
    ④生命力の幅を広げる援助
    ⑤もてる力、健康な力を活用し、高める援助

     ①番目のものさしは、“いのちのしくみ”にそって展開されるものです。
     この〈ものさし〉では、「介護の生理学」に裏付けられた活動が行われているかどうかが問われています。どのような援助を、どのようにして提供すれば生命の法則を曲げずに相手に届けられるか? 私たちは〈ものさし〉にそって更なる学習を継続させていかなければなりません。
     ②番目と③番目のものさしは、マイナス現象を探る時に活用します。
     今、この方にとって生命力を消耗させているものはないか? あるとしたらそれはどんなものか? とみていきます。別の言葉で言えば、課題発見の眼となります。
     ④番目と⑤番目のものさしは、プラスの現象を見ていく時に活用します。
     往々にしてケアの現場では、相手の悪いところ、問題点ばかりが気になります。これはなんとかしなければ、こうしてほしい、これはやめてほしい、もっとわかってほしいなど、問題点を挙げることに躍起になりがちです。その問題点の解決に向けてケアプランを作成するでしょう。でも、一歩引いて考えてみてください。彼らは病気なのです。彼らには衰弱が始まっていて、出来る力が削がれているのです。決して罪を犯して入所しているわけではないのです。失われた機能や力を追いかけず、もっと“残された力”や“もてる力”に目を注いでください。小さなことでもできること、残された健康な力はあるはずです。それを発見してください。そしてその力を使ったケアの方法を考えてみてください。
     今、ケア(看護・介護)現場では、この「もてる力」探しとその力を使った実践が展開され始めています。介護者の視線がプラスの方向に転じれば、自ずと相手の力が引き出され、関係性は良くなり、体調なども変化します。何より皆に笑顔が戻りますし、幸せ気分が満ちてきます。これは介護者のやりがいに通じます。
     実践現場における〈ものさし〉活用の効用は、計り知れないものがあります。

    実践には“ケアを導く理論・理念”が不可欠

     ケアのあるべき方向軸が飲み込めたでしょうか?
     もう一つ、アドバイスしたいことがあります。それは、ケアの実践を行うには、ケアを導く実践理論が必要だということです。すでにケア(看護・介護)の定義や実践の方向性について語ってきましたから、おおよそのことは理解していただいたと思いますが、最後に“ケアの実践構造”について説明しましょう。
     下記の図を見てください。これは私が「三段重箱」と名づけた図ですが、ケアの実践のあり方を描いたものです。

    ケアの実践のあり方を描いた「三段重箱」図

     良いケアの実践では、下段の「ケアの原理や本質」あるいは「ものさしの意味」を学んだ人によって、その視点をもって相手の「条件・状況」が観察され、現象の意味づけがなされていきます。これをアセスメントともいいます。大事なポイントは、下段の専門的視点を使って現象の意味が読み取られ、その先に実践がなされなければ、行われたケアは「ケアにはならない」ことがあるという点です。介護職が個々の人生観で状況を判断してケアした場合、それが素晴らしい実践として現れることもありますが、たいてい下段に入るのは「優しさ」や「思いやり」、また「個性の尊重」や「安全重視」といった内容であることが多いのではないでしょうか。それらをベースにして行われるケアは、ケアする人たちの人生観のバラつきが実践のかたちとなり、専門的・科学的ケアとはいえないことがあるのです。
     ケア(看護・介護)を科学として、専門性の高い実践にしようとするならば、その実践を導く理論・理念が不可欠です。私たちはそのために学習を続けているのです。

    “おわりに”に替えて

     90年の生涯を終えたナイチンゲールですが、彼女がケアの対象としたのは、いつでも貧困階層の人びとでした。1869年には『救貧覚え書』(*3)という短い論文を書いて、貧困者をいかに自立した人間として援助するかという課題に立ち向かっていきました。当時、貧困者は社会の最下層におかれ、人間扱いされていませんでした。病院に入院しても、在宅にあっても、戦争に駆り出されても、常に虫けら同然の存在でした。彼らを人として、また同胞として考え、公平で平等なケアが受けられるように動いたのはナイチンゲールでした。その意味で、彼女はまさに福祉の人であり、福祉思想の礎を築いた人でもあります。
     ナイチンゲールへの誤解と偏見が解かれ、彼女の優れた思想がケアの世界に継承されていくことを心から願っています。

    *引用文献

    *1. F.ナイチンゲール著、湯槇ます、薄井坦子、小玉香津子、田村眞、小南吉彦訳:看護覚え書 改訂第7版、p.222、現代社、2011.
    *2. 同上書 p.15.
    *3. ナイチンゲール看護研究所. 腑ロレンス・ナイチンゲール:幻の翻訳
    https://nightingale-a.jp/visionary-translation-florence/

    【参考文献】

    1) 金井一薫著:新版 ナイチンゲール看護論・入門、現代社、2019.
    2) F.ナイチンゲール著、湯槇ます、薄井坦子他訳:看護覚え書 改訂第7版、現代社、2011.

    金井一薫

    ナイチンゲール看護研究所 所長

    近代看護を確立したナイチンゲールの看護思想を長年研究し、ナイチンゲール思想を土台にしたKOMIケア理論を構築。「看護とは何か」「介護とは何か」看護・介護のあり方を思考する際に、立ち戻るべき思考のよりどころとなるケアの原形を明らかに現在、徳島文理大学大学院看護学研究科で教鞭をとりながら、ナイチンゲール看護研究所 所長も務める。

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介護の生理学研究会を開催しました。全国800名の皆様ご参加いただきありがとうございました。